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ふるくから発行されている自動車雑誌に「カーグラフィック」がある。 1962年4月、初代編集長の小林彰太郎さんらによって創刊されたもので、自動車雑誌の中で一番権威が高いと言われ続けてきた。 僕が初めて、父親に買ってもらったカーグラ(当時の表記は「CARグラフィック」)は1966年7月号、第3回日本グランプリで優勝した、真っ赤なプリンスR380が表紙を飾っていた。 当時8歳だった僕は、父に連れられて、小田急線からディーぜルの御殿場線を乗り継いで、出来たばかりの富士スピードウエイに到着。生まれて初めて見た自動車レースは、一生忘れることのない感動を味わった。 そのレースが特集になったのが、'66年7月号だった。 当時の値段は、たしか350円だと思う。 都内で食べるラーメンが50円の時代だから、随分と高価な雑誌だった。 以来、今に至るまで、カーグラだけは欠かさず買い続けている。 現行価格1200円(税込)は、月刊誌としてはイイお値段である。 しかも僕は20年以上海外で購読しており、最新号は760バーツ(約2100円!)もした。 そんな贅沢な買物をしていながら、さっと目を通しておしまいという号もけっこうある。 自分が自動車への興味が薄れたのか、巷でいう自動車そのものの魅力が失せたのか、カーグラの中身が面白くなくなったのか、よくわからないけれど、心ときめいて表紙をめくる、あの感覚はなくなった。 音楽も、LPからCDへ、そしてインターネットでダウンロードと、どんどん便利になるに並行して、やはり最初の一曲にあった緊張感はない。 一年続くかどうかで、さっさと交代するどこかの国の首相のように、世の中なんでも使い捨ての時代なのだろうか。 先だって、カーグラの姉妹誌NAVIが今年の4月号を持って休刊した。 発行元である二弦社が、採算の合わなくなったNAVIを継続するのは不可能になったという。 僕は、NAVIを創刊号から全号購読したお得意さんでもある。 疑問に思う記事も多かったが、とても残念に思い、その想いを書いてみた。 そのときは、「これからカーグラフィックに専念する」という記事を読んだので、一方では安心したのであるが、約1カ月遅れで届いたCG6月号の、塚原現編集長のコラムを読んで驚いた。 カーグラは二弦社を離れて、新たな経営母体のもとで継続発行してゆくが、編集長は辞職するという内容だった。どんな経営母体が受け継ぐのか、コラムには書かれていなかった。 日本では恒例通り、6月1日に7月号が発売されているので、すでに市場に出ているが、僕が中身を見れるのは月末になる。 すでに公になっている話では、小林彰太郎さんと、前編集長だった加藤さんが新生CGに移り、経営はあの郷レーシングの社主である郷和道氏。氏はブリヂストンタイヤの創始者石橋家の血を引くと言う。鳩山前首相の親戚ということだろうか。だとしたら、予算はたんまりあるんだろう。 フェラーリ信者の加藤氏だから、跳ね馬の記事が増えるだろうか。因みに塚原氏はスポーツエディターを長く務めながら、大変なポルシェ博士である。 しかしながら、自動車を取り巻く世界の環境は大きく変わり、先進国では高性能よりエコの話題が優先する時代になった。 F1の結果に一喜一憂する人は、たぶん減少傾向にあり、モーターレーシングの存在価値そのものが根底からひっくり返る事態にならないとだれも言えなくなった。 INDYに行ってしまった好青年、佐藤琢磨選手のことは、カーグラのコラムを読みながら、いつも応援しているが。 一方、大量の燃料を消費してぶっ飛ぶスポーツカーや、でっかいSUVは、中国の成金さんや、発展途上国の利権保持者には大人気である。 今や、東京モータショーは海外のメーカーがほとんど撤退という、存続の危機に晒され、片や北京モーターショーは、欧米メーカーのトップ車種発表の場と、立場は完全に逆転した。 この際だ、カーグラは、伝統の内容でもって、中国語版を発刊してはどうだろう。 月刊プレーボーイの日本語版だって、むかしからあるじゃないか。 毎号豊富に掲載されている、美しい自動車の写真なら、海外でも十分に理解してもらえると思う。 自動車に限らず、雑誌を初めとする出版業界が厳しい波にさらされていると聞く。 母体の変わったカーグラが、いつまで延命できるかわからない。 小林初代編集長が初刊を世に送り出して、あと2年足らずで半世紀になろうとしている。 60~70年代、日本のメジャー新聞は自動車を社会の元凶のように扱っていた。 自動車レースの結果が記事になることは滅多になく、事故で死傷者が出たりすると、大騒ぎするレベルの低さだった。 ああいう大勢と真っ向から対決し、品質やデザインを批評しながら、日本の自動車が世界に君臨するまで応援してきたのが小林さんたちである。 文と写真を通じて、情熱を世に訴えてきた人たちがいるから今がある. 衰退しないで永続して欲しい。
by bob_jones
| 2010-06-04 20:55
| 残念
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