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迷惑を「迷惑だ!と言って何が悪いんだ!」と言いたいことはたくさんある。また、言いたいけど言えない場合もある。言いたいのを我慢してもっとひどい目に合うことだってある。 リビアの国内線での体験もなかなかであった。首都トリポリと私がいた地方都市ベンガジ間を結ぶ定期フライトは、タイムテーブルでは1時間に1便以上飛ぶ事になっていた。しかし米国と外交断絶状態のなか、日本ではとうの昔に引退した、老いぼれボーイング727の補修部品が供給されず、トリポリ空港にズラーっと並ぶ20機ほどのうち、使えるのは3機だ、いや、5機は大丈夫だという噂が現地在住の日本人の間で飛び交っていた。たしかに駐機している727たちは、エンジンの中身ががらん胴だったり、尾翼がなかったりと、五体満足な個体は見当たらない。リビア航空機に乗るのはロシアンルーレットみたいな緊張を伴った。運をアッラーの神に委ねるしかなかったのだ。 たまの用事のため首都トリポリまで行くのだが、これが大変な重労働。国内便は機体不足のため、慢性的なオーバーブックである。ベンガジ空港には朝から大勢の乗客が押し寄せ、2時間に一度ほどの割合で、汚いカウンターに軍服姿の空港職員が現れると、罵声が飛び交うなか、死に物狂いで搭乗手続きをしなければならない。ここで失敗すると、飛行機には永久に乗れないのである。こんな惨状を知らなかった私は、初めてのとき、乗るのに半日以上も要してしまった。しかもシャツのボタンは半分ぐらいしか残っていなかった。ラグビーを習わなかった事を生れて初めて後悔した。 なぜこんなことになってしまうのか。理由は大きく3つあり、1.飛行機の機材不足。2.座席数より多く出されるボーディングパス(搭乗券)になにも印刷されておらず自由席であること。(フライトは色で識別されていた)。3.アラブ人とアフリカ人による運営であること。 決死の思いで搭乗券をゲット!しかし便番号も座席番号も空白の、ただ淵が赤、青、緑、黄のいずれかに塗られただけの紙っぺらである。 立ったまま、ひたすら待つこと1時間、また軍人が登場すると数百人の視線がそいつに集中する。 「ズルカ!(青)」 反射的に自分の手元にある搭乗券を凝視する。私のは緑である。アッラーの神様、なんであなたは意地悪なの? こうしてまた時間が過ぎてゆく。元はベドウィンだった人たちに、1時間毎に飛行機を飛ばせというのが無理ってもんだ。 空港に来て3時間経過。レストランも売店もない、砂漠の空港は、軍事施設であり、写真撮影は一切禁止。といっても、被写体になるものは皆無である。 また軍人が姿を見せる。ついに私の搭乗券の緑色が呼ばれる。周囲で安堵の声が多数聞こえる。軍人の誘導で、開かれた鉄扉の向こうへ行かされる。階段を登ると、2階にある待合室に通される。そこにはベンチが並んでいる。座らせてもらえるだけでもあり難い。 少し安心して周囲の人たちの顔を眺める余裕ができる。東洋人は自分一人。いや、隅の方に数名の作業着姿の韓国人か北朝鮮人がいる。あとは皆アラブ人である。そのうち半分ぐらいはアフリカ系の黒人である。 待合室にいると、何とも言えない圧迫感がある。よく見ると、四方の壁には一つも窓がないのだ。そして鉄扉の脇には武装した軍人が立っている。軍人に命を握られているようなプレッシャーが漂っている。自然、搭乗を待つ人々の表情も暗くなる。 それまでの静寂を破り、壁の外で大きなジェット音が聞こえる。飛行機が着陸し、逆噴射で減速したのち、ゆっくりと地上をタクシングしている様子がわかる。自分たちの乗る便かもしれない。待合室に活気が蘇る。もう5時間も空港にいるのである。しかし窓の外の光景はまったくわからない。ガダフィ大佐を頂点とする軍事国家に絶対服従を誓った軍人様は無表情のままである。 飛行機のエンジンが停止。再び訪れる静寂。重苦しい空気が待合室を支配する。そうか、おり返し飛ぶための機内清掃や、機械類の点検準備をしているのだな。確証のない期待に喜びを見出す術を、私は砂漠の生活で会得した。 おもむろに別の鉄扉が開かれる。外の景色が目に飛び込む。前方の駐機場には、リビア航空の727型機が、太陽光線を反射させて鎮座している。オンボロ飛行機が、このときばかりはスペースシャトル並の最新鋭宇宙船に見える。素朴な生活を強いられると、人間は些細な事にも感謝の気持ちを持てるようになる。 軍人に促され、登場客は建物の外にある鉄製階段で地上に降りる。久しぶりの新鮮な空気を思いきり吸いこむ。空は雲一つない快晴だ。いやいや、安心している場合じゃない。ここから最後の勝負が待っているんだ。 待合所と飛行機は約200メートルの距離がある。そのちょうど中間点に、搭乗客の預け荷物が多数、地面に山積みされている。 搭乗客は、山の中から自分の荷物を見つけて、そこに止まっているトラクターの荷台にヨッコラショと積まなくてはならないのだ。それを忘れると、荷物は飛行機に積まれることなく留まる事になる。あとで商社の人から聞いたことであるが、これは爆弾テロを防ぐ原始的な対策らしい。自爆テロがまだ主流でなかった80年代、時限爆弾を仕掛けたテロリストは標的となった便に乗り合わせず、遠隔的に爆破させるのが主流だった。 私は自分の荷物を荷台に載せると、一目散にタラップめがけてダッシュする。当時20代の終りだったから、まだまだ走るのは得意であった。今だったらどうだろう。やっぱりリビアへ行くのは止した方が無難だ。 タラップの下にも軍人君はおり、彼を無視してタラップをかけ上がれば、射殺されること間違いないから、ちゃんと整列する。私は前から5番目ぐらいの好位置を獲得した。ポールポジションには身長ざっと2メートル越えの黒人男性が、周囲に殺気を発散させながら不動の姿勢をキープしている。 炎天下、整列しながら、ようやくここまで辿りついた充足感で、私は幸福である。成り行き人生にも、達成感という忘れてしまった単語が浮かぶこともあることを知る。 おい、軍人君、準備は出来ているのだから、はやく機内に入れてくれ。ここは暑くてたまらんのだよ。しかし国内便に乗る直前に射殺されるのも悔しい。ここはポールポジションを陣取った巨人君に一肌脱いで欲しいものだ。しかし、彼は無表情(後方からなので想像だが)で微動だにしない。 遠くからの合図に反応した軍人君が一歩横に動く。先頭の巨人君がすかさず反応し、ダッシュで一気にタラップを駆け登ろうとしたその瞬間、「ラ、ラ、マザール(いや、まだだ)」と軍人君が道を遮断する。 一体何が起きたのだろうと後方を振り返ると、アラブ装束のオバサン軍団が向かって来るのが見える。みんな、すごいオデブである。ヒップなんて、2メートルもありそうだ。オデブ軍団は、エッチラエッチラと体をゆすりながらタラップに到着。自分の息子ぐらい若い軍人に何事か礼を述べながら、タラップを昇って行く。そう、ここアラブ社会にも、女性を優先するしきたりがあるのだ。 ついに体力も限界か、という直前、私たち男性軍にも搭乗の許可が出た。巨人君を先頭に、タラップを一段一段踏みしめる。機内に入ると、アラブ人というより西洋人っぽいスチュワーデスたちが客を迎え入れる。ベンガジの町ではお目にかかれない光景である。 スチュワーデスの誘導に従い、先頭集団は機体の一番後方から順に席を指定される。完全自由席であるけど、好き勝手な場所に座ろうとすると注意される。 私に与えられた席は、なんとさっきのオデブ集団の一人の隣であった。窓際に座るオデブオバサンは、ただでも小さなエコノミー席の幅1.5倍はありそうだ。細い肘掛が、ぐいっと押されてこちら側に曲がっているんじゃないか? アッラーの神よ、お願いだからご慈悲をと叫びたいのを堪え、私は3座席の中央に体を無理やり押し込んだ。そして右を向いて軽く会釈すると、オデブオバサンは笑顔を返してきた。 試練は続く。この世の不幸を一手に背負いこんだ私の、今度は通路側席に、隣のオバサンよりでかそうな黒人のオジサンが来たのである。オジサンが座ると、3人掛けのシート全体がグッと沈んだように感じる。 私はピクリとも動くことを許されない状態で、飛行機が動くのを、熱気の中でひたすら待つ。このまま窒息するのではないかと恐怖に震える。停機中止められていたエンジンがかかり、吹き出し口から冷気が押し出されると、なんとか圧死だけはしないで済むような気がしてきた。 私は、アッラーの神から受けた体罰に耐えながら、機体が動くのを待った。
by bob_jones
| 2005-08-18 11:55
| アフリカ
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