人類も犬も猫もみな友だち
カテゴリ
犬の思い出 犬の声 アフリカ Music テレビ雑感 童話?? MY LIFE THAI LIFE 友達 FAMILY CAR GOLF アルチュー人生 お仕事 Vietnam 中学2年E組 LAO 残念 働くジドーシャ 清い心 ミャンマー 以前の記事
2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 最新のトラックバック
タグ
タイ(23)
赤シャツ(13) お仕事(9) 胆石(6) ラオス(5) 残念(4) 網膜剥離手術(4) 健康に感謝(3) ウレピ―(3) ボビー君(2) イサーン(2) 合掌(1) CG(1) NAVI(1) ショッピング(1) 寺(1) 新入生(1) 日記(1) 入院(1) 野球(1) その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
私と同じ1957年に生まれ、ゴルフ界に旋風を巻き起こしたスペインの星。 セベリアノ・バレステロスが米国のシニアツアー(現チャンピオンズツアー)に参戦するという。 長い間、背中を痛め満足なゴルフをできずに苦しんできたが、完治はしないまでも、試合に出れるコンディションになったのだろう。 私は元々ゴルフに興味があったが、のめり込んだのは1970年代の終わり近くに、バレステロスの戦う姿をテレビで見たことが大きい。 燃える闘魂精神で、どんな場所からもバーディーを狙う攻めのゴルフは、世界中のギャラリーを熱狂させた。 反面、失敗したときの悲しそうな表情など、スペインの血を感じさせるものだ。 私が初めて実際にバレステロスを見たのは、1991年にバンコクで行われたジョニーウォーカークラシックの会場で、タイガー・ウッズを目の前にしたとき以上の感動と興奮があったことを思い出す。 2度目は2006年1月のバンコクで、欧州代表対アジア代表によるロイヤルトロフィーの会場だった。約15年ぶりにみるセベは、選手でなく欧州チームのキャプテンとして来泰した。年齢相応ながら相変わらずハンサムで、私の妻は「あんな素敵な人、見たことない」と、自分の夫に向かって言った。 試合から遠ざかるブランクが長かったが、今年の全英オープンで手応えを感じたそうで、来期のプレーぶりが今から楽しみだ。若いときのようなミラクルは期待できないけど、優雅の一言に尽きるアイアンショットなど、見所を抑えていれば、ファンを魅了してくれるだろう。 #
by bob_jones
| 2006-12-09 16:51
| GOLF
以前バンコクで、仲間四人と飲んだときの話題。 酔いがまわったころ、53歳、元製鉄系ラグビー部出身のAさんがポツリと言った。 A 「このシシャモってさぁ、みんな子持ちだよねぇ。子無しシシャモっているのかなあ・・」 これが話の発端となった。 知っているようで知らないことって、あるものだ。 そのときの一人、水産会社の経営者Eさんには黙ってもらうことにした。 B 「子無しはシシャモって呼ばないんじゃないの?」 C 「じゃ、なんて呼ぶの?」 B 「種なしシシャモ」 みんな 「ワハハハハ」 E 「クッククク」 C 「本名はイワシなんじゃないの?」 B 「妊娠したことがバレるとまずいから、偽名使ってるんだね」 A 「子持ちシシャモはイワシのお妾さんか?」 D 「みんなバッカだなあ。オスがいなきゃ全部死んじゃうじゃないか」 A 「そっか、子無しシシャモはオスなんだな」 C 「そうとは限らん。認知してもらえなくて中絶した気の毒なシシャモもいるはずだ」 みんな 「ワハハハハ」 E 「クッククク」 A 「ということはシシャモの世界にも、未婚の母がいるんだね」 C 「援助交際系のシシャモがいてもいいよね」 D 「プランクトン100匹で付き合ったりするんだな、たぶん」 B 「Eさん、正解はどうなってるんですか?」 E 「子持ちも子無しも、全部シシャモですよ。北極とか寒いところの魚で、産卵するとほとんど死んでしまう、可哀想な魚なんです。だから、大切にしてやって下さい」 みんな 「へぇ~」 A 「でもねえ、大切にたって、焼かれてこんな姿になっちまって、お母さんが見たら悲しむだろうなあ」 C 「それでは、今夜は、シシャモさんの送別会ってことで、飲みましょう!」 **************** ヨッパライは、こんな話題で盛り上がれるのだから、平和です。 #
by bob_jones
| 2006-12-08 20:31
| アルチュー人生
今いるハノイでは、同じアパートに会社の者が三名、目の前にある別のアパートに二名と、自分を入れて計五名が近くに住んでいる。 なかでも、鹿児島出身で単身赴任、体重105キロの後輩が気のいいヤツで、クマみたいな外観のくせに料理好きの世話好き、彼の部屋に暇な何人かが集まって飲食することが多い。 彼に短めの浴衣を着せ、犬を連れさせれば、どこから見ても西郷ドンの出来上がりである。その格好で上野公園に行ったらウケるだろう。 西郷ドンは、数年前から痛風を患っており、ビールは飲まないが、元々酒が滅法強く、焼酎などは水のような勢いで減ってしまう。同じペースで飲んだらこちらは間違いなくひっくり返る。 曰く「鹿児島じゃ、みんなこんな飲み方なんすよ」 昨夜は身内三人、知人二人で西郷ドン特性のおでんを囲んだ。僕は新鮮で大きめのアサリを市場で仕入れ、鍋いっぱいの酒蒸しと、いい胡瓜と大根があったので浅漬けを作って持参した。 酒は西郷ドンが日本からの客人からもらった吟醸酒、誰かが持参した宮崎の芋焼酎、グレンフィディックの18年。酒と料理がたくさんあって、寒い夜の小さな宴会は楽しい。 海外にいると、同じ日本人でも様々な出身地の人たちと仲良くなれる。それこそ北海道の北端から沖縄以南まで、訪れたことのない土地から来た人が大勢いる。むしろ東京出身の方が少ない。二十代後半にアフリカへ高飛びするまで、生まれ育った東京にいたときには考えられないことだ。 飲んで酔うと方言が飛び出したりして、それだけでも大笑いできる。 昨夜は西郷ドンに「自分のことをオイドンと言え」と強要して言わせた。 バカウケだった。 #
by bob_jones
| 2006-12-05 11:23
| アルチュー人生
東京の山の手に、誰にも知られることなく、小さな組織が結成された。メンバーはすべて四十五歳以上。総勢四十名ほどの男が、毎週土曜日の午後十時過ぎになると、甲州街道高井戸陸橋下に、各々が自慢の愛機を駆って集結する。 全体のまとめ役は本庄という名の男で、三十数年前に新宿の暴走族で副ヘッドをやっていた。高校は中退したが、一歩間違えば今ごろは暴力団の幹部になっていたかもしれない路線から自ら脱却し、堅気として地道に生きてきた。 hitoは本庄と幼なじみで、そう、昭和四十年代の終るころ、ブラックキングなる一大勢力を誇る暴走族の幹部候補として、大暴れしていた。法の裁きを受けたことは二度や三度ではない。二人は暴走族が下火になって、方々で解散式が行われるのに合わせるように、静かに社会へ散り、以来二度と会うことはなかった。 hitoは社会人になり、バカな仲間だった奴らより早く幸せな家庭を築くことに全力を注ぎ込み、努力した。 しかし昔取った杵柄とでもいうのか、バイク好きな性分だけは変ることなく、配偶者公認の元、様々なモデルを繰り返し乗り繋いだ。 もう四十も半ばを過ぎたある晩、hitoが愛機、黒のカワサキZX-R改で首都高速四号上り車線を140km/hで流していると、右バックミラーに凄まじい速度で迫る一台の単車が映った。 近づくにつれ、その物体のフロントに小さなプロジェクター式ライトが上下に並んでいるのが見えた。 特製のパールホワイトとメタリックブルーに塗り分けられたイタリア製ドカティ999Rだった。 ドカティは、hitoのカワサキを、80キロ以上の速度差で一気に抜いていった。追い抜きざまの腹をえぐるような高回転ツインの排気音は迫力ものだ。 「ほほう、いまでもあんな元気なヤツがいるのか。久しぶりに興奮させてくれるじゃないか。」hitoはイタリアMOMO社に誂えさせたスモークグレーのヘルメットの中でささやいた。 hitoのカワサキは、オリジナルの1100ccを1450ccまでスケールアップし、細部に至るまでありとあらゆる手を尽くした結果、恐るべきことに200馬力以上の出力を得ていた。高出力に合わせ、ドリブンスプロケットの歯数を減らし高速寄りのファイナルギア比としてあるから、ベンチ上では340km/hという常識を超えた最高速度を記録した。 とてつもないパワーを誇るエンジンに対し、hitoは駆動系の補強はほどほどにした。重量が増すのを嫌ったからである。直線だけ速くても、コーナーリング性能で劣っては首都高速で勝負できないことを、バイク歴三十年を優に越えるキャリアは知り尽くしていた。その代わり、フレーム、スイングアーム、フロントフォークなど、剛性を確保したい部分には惜しげもなく金を注いで、軽量かつ強靭な足回りを得ていた。 レトリーバーのように従順な大型犬だったZR-Xを、目立たないように野生の豹に変えたのだ。 hitoはカワサキのギアを慎重に一段落とし、タコメーターの針が5,500rpm/mに落着くのを見計らい、徐々にスロットルを開いた。燃料タンク下の1450cc16バルブエンジンに混合気を供給する気化器が、グォォーッン!とものすごい吸気音を立てると同時に、カワサキは恐ろしいほどの加速態勢に入った。 hitoは上半身をやや屈め、目前の速度計に目をやると、特性デジタルメーターは一つの目安にしている220km/hを、判読できないほどの速さで通り越した。 現在地世田谷区桜上水付近。 幸い一般車両が少なく、カワサキはついに260km/hの壁に突入した。 首都高沿いに立つマンション郡、電光看板が凄まじい速度で後方へ流れ去った。そして遠く前方、新宿の高層ビル群に混じって、さっきのドカティらしき赤いテールライトを捕らえた。 幡ヶ谷、初台を通り過ぎるころ、hitoのカワサキは280km/hの信じられない速度でドカティのテールに追い着き、一気に抜き去った。 すぐさま、通称「新宿コーナー」と呼ばれるRの小さい右コーナーが迫る。首都高4号線にある難所の一つだ。 hitoはもうここを何万回も通過し、知り尽くしたコーナーのベストラインを、急激にブレーキングのあと、なんと140km/hの速度でクリアした。微妙に設定されたコーナーにあるバンクを、高速にあっても見逃さないスキルは、年齢を重ねるごとに研ぎ澄まされていた。 コーナーを抜け首都高が右、左と小さなコーナーを繰り返すころ、「今日はもういいや。」と呟いた。カワサキのパフォーマンスが確認できて満足したhitoは、スロットルを戻しクルージングに入った。JR線が左に沿って走る代々木近辺でのことだった。 hitoのバックミラーに、さっき抜いたドカティが追い付いてきた。 横に並んだドカティ999Rは見事に磨きこまれ、都心の電飾を反射させた姿は惚れ惚れするほど美しい。 ライダーはBELLの高級ヘルメットに、ダイネーゼ製の黒い革ツナギを着用していた。これだけのバイクに乗るだけのことはある。 hitoが軽く会釈すると、Rのライダーも会釈で返してきた。 そして、相手は左の人差し指を立てて、次の出口で降りるサインを見せた。 カワサキとドカティは、もう何年もつるんで走ったように、スムーズなランデブーで外苑出口へステアリングを向けた。 一般道に出てすぐ、2台は車道の縁石に寄せて停車した。 hitoはカワサキのハンドルポストにあるイグニッションキー切った。 2台の大型バイクがエンジンを止めると、日付が変ったばかりの神宮外苑に静寂が訪れ、焼けたブレーキや熱を帯びたシリンダーが外気で縮むときの「チッチチチ」という金属音が妙に響いた。バイク好きにすれば、愛機が馬のような生き物に感ずる至福のときである。 二人のライダーは同時にヘルメットを脱ぎ、ふーっと息を吐いて目を合わせた。 「あれ?」 二人はほぼ同時に声を発した。 「本庄?新宿の本庄じゃない?」 「おまえ、hitoだよね?」 間違いなかった。 「うわぁ、何年ぶりだ?30年ぐらいになるかなあ。」 信じられない表情で本庄が言った。 十代後半、二人は大型暴走族ブラックキングの顔だった。 本庄は地元新宿の幹部で、組織全体のリーダー近藤の右腕として奔走していた。 hitoも新宿出身で、本庄とは中学時代からの知り合いだった。しかし高校を世田谷にある公立に進んだため、地元下北沢や笹塚周辺に身を置き、ブラックキング下北沢支部に入り、支部長犬橋を精力的にサポートしていた。 「いま、なにやってんの?」本庄が訊いた。 「クルマ関係の会社にいるよ。もう30年近く勤めているんだ。お前は?」 「家業の料理屋をついでマジメなもんさ。親父も死んでしまったし、子供は三人。だけどバイクだけは手放せないんだよね。」 hitoは、懐かしさが心に満ちてくるのを感じた。お互い、世間知らずの小僧だったとはいえ、対立する多数の組織と命がけの闘争を繰り返し、生き残った経験は、記憶に深くインプットされていた。それが今、余りにも偶然に、当時の戦友と再会したのだから。 「みんな、どうしてるんだろうな。何か知ってる?」本庄がhitoに尋ねた。 「何人かとは今でも付き合ってるし、バイクに乗ってるヤツもいるよ。K太とか、Harry、ゲオルゲ、bobなんかだね。最近会ってないけど、笹塚のヤツらもたぶん。」 「それは面白いね。K太なんてヤマハのTXとか変ったのに乗ってたもんなぁ。いつか集まることできないかなぁ。カッチャンとか、大池君とか、まだ乗ってるんだよ。小森君なんて、当時のリフトバックをレストアして保存してあるんだぜ。スピードスターMKⅠももちろんビカビカだし。みんな金あるから、極上のすごいのばっかり。hitoのカワサキもかなり金がかかってるよな。やっぱカワサキだなあ。」 当時、本庄は貯めた金をすべて注ぎ込んで、皆の憧れの的だったカワサキ750Z2の新車を買い、一ヶ月以上かけて極上のストリート仕様に仕立てたのだ。塗装は、本庄の師匠とも言えるZ2乗りのカッチャンこと先輩の、白と赤のツートンに敬意を表し、白青のカラーに塗られ、排気管は、当時まだ市民権を得る前の、ヨシムラ製競技用の手曲げ集合管が装着されていた。しかし、本庄がわが子のように愛したZ2は、江ノ島での集会の帰りに事故に遭遇し、路上で全焼した。このシーンは、のちに一般公開された映画でも紹介されているし、カラオケのファンキーモンキーベービーで流れるモノクロームの映像はまさにそのものである。 ふたりはしばらく、路肩にバイクを止めたまま、昔話に華を咲かせた。 続く #
by bob_jones
| 2006-12-03 00:29
| CAR
あの方からの質問:「うわー!蒲田のお約束の顛末が気になりますっ…!」にお答えします。 と言っても、私もひどい二日酔いでしたので、記憶は定かではありましぇんが・・・ 「10時かぁ、おれ蒲田の取引先に行く約束があるんだよ」 「約束って、何時なの?」 「10時」 こんなやりとりのあと、ハリ~の仕事が心配な私は言いました。 「先方に電話を入れたほうがいいんじゃね?」(語尾上がる) 「なんか、面倒臭ぇなあ。bobが電話しろよ」 「ワタシバカヨネーって歌えばいいのか?」 「ウヒヒヒヒ」 「笑ってる場合じゃないんじゃないの?」 「しょうがねぇから電話すっかな。あー、もしもし、ハリ~ですけど、ちょっと遅れます」 「もうちょっと、申し訳なさそうに話した方がいいんじゃね?」(語尾上がる) 「あんまし大したヤツじゃないからイイんだよ」 私たち二人は部屋から地上に降り、スタバで熱いコーヒーを飲んでわかれた。 歩き去るハリ~の後姿には、疲労がにじみ出ていた。 #
by bob_jones
| 2006-12-02 12:29
| 友達
|
ファン申請 |
||